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2 命令

last update publish date: 2026-01-07 12:53:39

 宮殿の奥には皇帝陛下の私邸。別棟には後宮がある。

 後宮は、女性であっても出入りは自由ではないので、私は足を踏み入れたことがない。

 女官に案内されたのは、陛下の私邸にある応接室だった。

 屋敷の中は甘い、香の匂いで溢れている。

 廊下には絵画や美術品が飾られていて、皇帝の財力の大きさを感じさせる。

 侍従などがいるはずだが、人の気配を感じなかった。

 その意味をすぐに察し、胸の高鳴りを覚えてしまう。

 女官は私を応接室に入るように促すと、すぐに背中を向けて去っていく。

 私は背筋を伸ばし、扉に声をかけた。

「紅雪華《ホ・シュエファ》、参上いたしました」

「あぁ、入れ」

 そう声が聞こえ、私はぐっと手に力を込めて持ち手を握った。

「失礼いたします」

 ゆっくりと扉を開けると、外衣を脱いだ陛下か立ち上がってこちらに歩み寄ってくるのが見えた。

 私は慌てて中に入り、扉を閉める。

 陛下は私の前に立つと、

「シュエファ」

 と、熱い声で私を呼んで微笑んだ。

 香の匂いが、強く香る。

「陛下……」

「無事でよかった」

 安心した声で言った後、手がそっと、私の頬に触れた。

 あぁ、陛下がまた私に触れてくださっている。

 こんな幸せを私は感じていいのだろうか。

 子供の頃、憧れた皇帝陛下。

 年を経てもなお、陛下は気高く美しい。

 そんな陛下のご寵愛を受けて、もう三年になっていた。

「陛下も、お変わりなく」

 鎧を着たままなのに、早く脱いで陛下の胸に飛び込みたい。

 そんな衝動を抑えて私は陛下に声をかける。

「あぁ、俺は変わりないが……少し、問題が起きていて」

 と言い、陛下は視線を落として真剣な顔になる。

 私がいない、半年の間に何が起きたのか。

 戦場に旅立つ前、陛下のご寵愛を受けた日のことを思いだすと身体の奥が熱くなる。

「何があったのですか?」

「ツァロンの女官が殺された」

 淡々と、陛下が告げた言葉に私は衝撃を受けた。

 ツァロン殿下。陛下にとって唯一の息子だ。

 陛下には十二人の子供がいるが、息子はひとりしか生まれなかった。

 この国はそういう国だ。

 男がとても生まれにくく、寿命も短い。

「でも、なぜ女官が?」

 女官が殺されるなんて理由がわからなかった。何せ、女官の多くは外に孫もいるような年配の女性たちだ。

 恨まれることなどあるだろうか。

「警告、かも知れぬ」

 そう忌々しげに陛下が呟く。

「警告、ですか?」

「あぁ。次はツァロンだ、という。相手の狙いがわからないから、女官の死は病死として処理している。殺されたと知るものはごくわずかだ」

 殿下を狙うなど不届きな。

 でもなぜ殿下を狙う? 殿下の前に女官を殺す意味はいったいなんだ?

 殿下は貴重な男子。殿下が亡くなったら皇位継承者がいなくなる。

 わからないことだらけで、私は思わず眉間にしわを寄せた。

 すると陛下は神妙な顔で私を見て言った。

「それで……シュエファ。君にお願いがあるんだ」

「お願い、とは?」

 陛下は私の頬に触れたまま、真剣なまなざしで告げた。

「ツァロンを守ってほしい」

 その言葉に思わず心臓がぎゅっとなってしまう。

「それはつまり……」

「本日より第二師団団長の任を解く。明日からお前は、ツァロンの警護と事件の調査にあたってもらう」

「え……」

 団長の任を、解く?

 余りの衝撃に、私は目を見開く。

 皇帝陛下をお守りしたい、その一心で騎士団に入団し、戦ってきたのに。

 その想いを潰されたような気がして、やりきれない気持ちになってしまう。

 それが表情に出たのだろう、陛下は申し訳なさそうな顔になった。

「あぁ、そんな悲しい顔をしないでくれ、シュエファ。君だからお願いするんだ。私の大事なシュエファ」

「あ……」

 陛下の顔が近づき、唇が触れる。

 すぐに陛下は離れ、私を切なげな瞳で見つめた。

「俺としても心苦しい。君が騎士団の団長になったのは実力だからな。でもこの件はとても繊細な問題なんだ。他に信頼できる相手がいない」

 確かにそうか。ツァロン殿下が狙われているかもしれない。それは実に大きな問題だが、大きな問題だからこそ、おいそれと公にできないのだろう。

 皇帝陛下の威厳にも関わる。

「あの子は今十八だ。あと二年もすれば後宮が作られ、正式な後継者となり皇太子となるだろう。それまで、ツァロンを守ってほしい」

 皇帝陛下のお願いを聞けないわけがない。

 私は、拒絶したい想いをねじ伏せて、

「わかりました」

 と返事をかえす。

 すると陛下は安心したように笑い、

「ありがとう、シュエファ」

 と言った。

 陛下が喜んでくださるのであれば。

 だって私にとっての幸せは、陛下が笑顔で過ごしてくださることだから。

「シュエファ」

 甘い声が私を呼ぶ。

「はい」

「だから君は今、ひとりの女だ。騎士団の団長でも、護衛でもない。わかるね、この意味が」

 その言葉に、私は思わず笑みをこぼし、

「はい、もちろん」

 と答えて、陛下に顔を近づけた。

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